安全保障法制の「合違憲性」について

今国会でまさに集団的自衛権の実務的行使の枠組を含む安全保障法制が審議されているわけですが,その文脈で衆院憲法審査会の憲法学者が揃って当該法制は「違憲」だとする考えを示したことで与野党の見るに堪えない言い合いが激化しているようです(参考)。

この言い合いが全く実りのないものであって,出口のない迷路を行ったり来たりしている状態であることは明白です。こういった言い合いをするのならもう少し実のある話し合いをしてほしいと切に願います。簡単にですが,今回の問題について思うところを記したいと思います。

◼︎ 憲法の番人=最高裁判所

当然のことながら現在の日本において,法律の合違憲性の判断を示せるのは裁判所,そして最高決定権者は最高裁判所ということになります(これを違憲立法審査権と呼びます)。しかしながら,日本の法制度は「付随的審査制」を採用しているため,審議中の法案や立法後であってもその法案自体の違憲性の判断はできません。すなわち,ある事案を裁判所が審査する際に憲法上の争点が惹起されて初めて裁判所は憲法審査が可能となるわけです。したがって,憲法学者だろうが政治家だろうが,国会のなかで「合違憲性」を言い合ったところで水掛け論になることは自明で,なんの解決にもなりません。

ちなみにですが,フランスでは直接審査制を採用しているため,行政府が審議中の法案を憲法院(Conseil constitutionel)に審査を委ねれば憲法との整合性を確認することが可能です。現在フランスで審議されている情報管理法(Loi sur renseignement)はまさにオランド大統領の意思で今後憲法院の審査を経ることとなります。

日本の法整備上の問題はもう一点あります。「統治行為論」というものがそれです。すなわち,最高裁判所に憲法事案が持ち込まれたとしても,それが過度に政治的な色彩が強いものであったり,行政府との権力分立の観点から判断することが望ましくないとする場合には裁判所は憲法判断を回避するという行為です。今回審議されている安全保障法制が今後なんらかの事案に付随するかたちで裁判所に持ち込まれたとしても,裁判所が同論を用いて憲法解釈を回避することは大いにあり得ます。結局のところ,行政国家化の最たる状態として,行政府の施政に対する憲法的監視機関が不在しているのが日本の状況です。

◼︎ 硬性憲法の弊害

言わずもがな,日本国憲法は改正のハードルが異様に高い硬性憲法です。現状の変化に応じた柔軟な対応が難しいことは明らかです。憲法はそもそも国民の生命,身体,幸福追及の権利を守るために国家の行動を規制するためのものであるはずが,硬性でありすぎるがために国民の自由権利を脅かす事態になりつつあるというのが思うところです。

確かに憲法解釈の変更が立憲主義に反する云々の反論がでることもわかります。しかしそれを言い出したら自衛隊の違憲性や米軍駐留の問題の違憲性など再燃せざるを得ない憲法解釈上の問題はいくらでもあります。裁判所が「あえて」憲法解釈を回避してきたからこそ,行政府が時代ごとに適切な対応を行ってきたからこそ保たれてきた平和があるのも事実です。今回もそのひとつになるのではないでしょうか。日本の政治家は思うほど頼りないものではないと感じます。

少なくとも現在は安倍総理の独壇場というわけにはいかず,共同与党の公明党がいい具合にストッパーをかけて自民党の単独与党化(肥大化)を防いでいる感があります。現状のままであれば,日本が極端に国際世論の軸から外れることはないと感じます。

とにかく,現在国会で水掛け論化している「合違憲性」の問題は議論すること自体がナンセンスです。現状に対応するために「じゃあ,なにをすればいいのか」という点を真剣に議論してほしいものです。

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